
(絵・色の本棚より)
長くなるので 気が向いたら 読んで下さいね。
私は ある時期まで
心配する気持ちは 相手に対する思いやりの気持ちだけから 湧きあがって来るものだと 思っていました。
もちろん そういう気持ちも 含まれていると思います。
息子が 高校生の時
「オレは お母さんが、そうやって心配する事が
1番いやだ」と言いました。
私の両親は 2人とも持病があり 、それ以外でも 病気・怪我 での通院や入退院を繰り返し ていました。
主人は仕事をやっていく上で 気苦労が多い ので
仕事以外の事で 負担をかけてはいけないと思っていました。
思春期の3人の子供達の気になる事・そして ラッキーの事も 出来るだけ私がやっていかなくては。
そういう気持ちが
いっぱいいっぱいになって 起きてもない事を
想像したりして 心配に繋げていくわけです。
常に 、心配が多い日々が日常となっていきます。
それは そういう日々を 自分で選んでいたんですね。
頭では わかっていても その事を納得して
受け入れるには 時間が かかりました。
なぜなら 当時思っていた
「私がやらやなかゃ・こうでなければ」
と 思っていた事を 勇気を出して やめた先に
みえてきた事だったからです。
私がやらなくても 、 私の思う様にいかなくても
すべては 自然に 流れて なるようになる事
を、はっきりと自分の目でみて 実感しました。
相手の為にはならない 私自身の 余計なお節介にも 気づかされました。
当時の生活は 全て 自分自身で 選んでいたのです。
心配している事が 本当にならないように 自分に我慢・無理をさせる。
そんな頃の息子の言葉でした、
おかげで 私は大事な事に気づかされました。
『私は お腹を痛めて生んだ息子の事を信頼出来ていない』
そして 1番大事な気づきは
『息子を今まで 精一杯育ててきた のに
そういう自分を信じる事が出来ていない』
極論になるかもしれませんが
「私を生んだ両親だから!私が選んだ主人だから!我が家にきまラッキーだから!」
❇️大丈夫~❇️ という
自分に対しての信頼と覚悟の様なものが 生まれたきがします。
そして うまく表現できませんが
相手の事をまるごと受け入れるという事が
何となく わかってきた様な 気がしてきたのです。
あれから 時は流れ 今では 誰の事も 起こる事に対しても 何の心配もしていません。
あの頃の日々がうその様に 穏やかで 軽やかな
日々を過ごしています。
でも まだ ラッキーの事に関しては
時々心配がやってきます。
どうなるかなぁ~
あせらず 自分の気持ちと向き合っていこう!
と思える 今日この頃です。
私個人の 長いお話にお付き合い 頂き
ありがとうございました。